あなたのココロのメンテ

「自己肯定感」の解釈

先日の信田さよ子先生のツイートが、メンタル系の専門家の間で話題になりました。私自身もRTしましたので、良かったら追ってみてください。

その内容をざっくり説明すると、

  • 自己肯定感や自尊心の高い低いは「自滅」への道
  • それは他者・アート・読書・自然界などから備給されるもの
  • 自己肯定感を高めるワークに出ても高まらない、「私ってダメなのでは」という人は、新自由主義の犠牲者ではないか
  • 臨床心理士や教師などの専門家たちも「虐待の影響は自己肯定感を低めること」だと言う。蕁麻疹がでそう
  • 自分を好きになることと自分と対話するのは別
  • 自分を肯定しても自己肯定感なんてない

という内容でした。

私はこれを読んで、「そっか、そういうことだったのか!」と、長年の便秘がなくなったようなスッキリした、すがすがしい気持ちになりました。

今回の信田先生のツイートで、ある知人女性との会話を思い出したんです。

彼女はまさに今回先生のおっしゃる「犠牲者」で、いくらアファメーションを行っても虚しくなるだけで、辛くなって止めてしまった、と話していました。

自分を好きになりたいのになれない。ありのまま自分を「肯定」したいのにできない。他に何をすれば私は救われるのか?

ひろみさんは専門家なんだから知ってるでしょ?

と、言われましたが、私は返す言葉がありませんでした。

彼女に対して、「こうすれば救われるよ」というアイディアが思い浮かばなかったからです。

私はその時、すごく悲しかったことを覚えています。何もできない無力な自分への絶望もあったし、キャリアのある専門家だって名乗りながら、結局私を助けることなんかできないじゃない、と、バカにされたような気がしました。

彼女は私のクライアントではないので、その後も特に相談を受けるわけでもなく、結局その話には何の進展もありません。

その時の私が、この信田先生の話をしっかり理解していたら、ちゃんと返してあげられたのにな、と、今すごく反省しています。

必要なのは「他者(もしくは自分以外の何か)とのつながり」なんですよね。

自分で自分を肯定すればいい、と言うのは、確かに本人に責任を押し付け、余計に本人を孤独に追い込んでしまいます。

「私は私のままでいい」という自分への承認は、「あなたはあなたのままでいい」という他者からの承認があって、セットでようやく成り立つわけです。

依存症の回復には、病院での治療や個別のカウンセリングだけではなく、自助グループが必要だ、と日ごろから思っていましたが、なぜグループが回復に効果があるのか、も、ここに答えがあると思いました。

自助グループのミーティングは、依存症から回復したい人は誰でも参加できます。正直な話をしても誰も否定しません。言いっぱなし、聞きっぱなしです。「どんなあなたでもOKだよ」という「場」が、そこにはあります。

もちろん主治医の先生やカウンセラーも、「ありのままでいいよ」というかかわり方をしてくれているとは思いますが、治療者とクライアントという立場でのやりとりでは、「先生は支援者だから味方してくれるだけ、診察室の外に出たらまた同じ」という枠から抜け出すのは難しいように感じます。

その点、自助グループは、同じ悩みを抱えた仲間との分かち合いの場なので、それぞれの社会的な立場を気にせず話すことができます。

依存症から回復した人は、日常生活でうまくいかないことがあったとき、自分の考えが混乱したとき、傷ついたとき、その都度グループで吐き出すようにしています。グループで受け入れてもらえたら、また明日頑張れるんです。回復が進んだ人の、上手なグループの使い方です。

「他者からの承認」は、人じゃなくてもいい、と、信田先生がわざわざ書いているところも注目です。

文学に救われる人もいるし、絵画に心が動く人もいるし、海や山や朝日、夕陽などの景色を眺める感動もありますね。

そんな高尚なものではなくても、オタク的に言えば「推し」のキャラやアーティストの作品に救われることだって全然アリだと思います。(私もこれ)

この記事を書きながら私自身のことを振り返ってみると、私はこれまで自分の力で人生を戦っていたような気持ちになっていたけど、たくさんの力に助けられてここまで来たのだなと改めて感じます。

そして、自分を受け入れられない、自分を好きになれない、という悩みを打ち明けられたときには、よくわからない理論や方法をこねくり回さず、シンプルに「私はいいと思うよ」って返そうと思いました。

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